今?えーっと、今ね、電車のデッキ。

これまで見てきた沢山の鉄道、風景、グルメをゆっくり綴っていきます。
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JR九州ホテル鹿児島

天文館でぢゃんぼ餅を食べた後は市電で
鹿児島中央駅まで戻り、ホテルにチェックイン
です。

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今回は鹿児島中央駅直結のJR九州ホテル鹿児島
に宿を取りました。

理由は朝食に惹かれたからのと、翌日の帰り
が楽そうだったからです。

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部屋は禁煙のシングルでこんな感じ。
結構、モダンな感じですね~。

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テレビはPanasonicのVIERAでした。
ホテルはPanasonic率が高いと思うのは私だけでしょうか…

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ベット周り。
割と広めです。

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ユニットバス。
この辺は普通ですね。

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そして特筆すべきは、お菓子。
しかし、誰にでも付いている訳ではないのです。
私だけに、そう、お菓子付き宿泊プランを選択した
私だけに貰えるこのお菓子。

実は、楽天トラベルで予約をした時に「嬉しいお菓子付き」
という一文があり期待して行ったらフロントで渡されたのは
このお菓子でした。

もうちょっと郷土食の強いお菓子を想像していたのですが、
普通の駄菓子の詰め合わせですね。いや、ピザポテトとか
プリッツがある辺り原価高そうですが…

このへんは明日のおやつに取っておいて…夕飯と写真撮影
の為に直ぐに出ていかねばなりません。
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[ 2013/08/17 00:00 ] 鹿児島県 | TB(0) | CM(6)

西郷隆盛銅像

前回の記事では西郷隆盛縁の地を巡って来ましたが、
今回からは鹿児島市中の散策です。

とりあえず、15時頃になってきたので、ホテルのチェックイン
まで後2時間ほど。
もう少し、ブラブラしてみようと歩き出します。

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こちらは以前も出た鶴丸城跡です。

此処も入ろうと思ったのですが、天守閣もなく(元々の城の造り
がそうということもあり)、入場料も取られるということもあり、
此処でケチな根性が出た自分。入場は止めました。

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その代わり、同じ敷地にある鹿児島県立図書館へ。
30分ほど本を呼んで時間を潰します。

その土地その土地の図書館も中々色があって面白いんですよね。
郷土資料なんかはその典型ですし、同じジャンルの本でも地元
には置いていないものもあったりして楽しいです。

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違う方角から出てみるとこんな石碑が。
旧帝国陸軍関係の施設もあったのでしょうね。

この後は歩いて行ける距離の所にある…

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西郷隆盛の銅像を見に行きました。
これで3体目ですが、鹿児島市は本当に西郷隆盛が好きなんですね。

一般的にイメージする西郷像というのがこれではないでしょうか。
学ランのような軍服にサーベル。
それか、着物に犬を連れている姿。

この銅像の前は目立つだけあって、やはり観光客が集中していました。

因みにこの銅像が立てられたのは、昭和12年ということで意外にも
古いです。

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こちらは鹿児島市中央公民館。
随分モダンな建物だと思っていたら、1927年に造られた建物だそうです。

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その隣にあるのが薩摩藩の家老、小松帯刀の銅像です。
大河ドラマ「篤姫」で瑛太が演じて一気に人気が出た人物ですね。


この後は再び市電に乗り天文館へ移動。
私の旅行といえば恒例の…

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アニメイトチェ~ック!!

鹿児島のアニメイトはやはり、鹿児島一の繁華街天文館にあります。
ビルの3階で雰囲気は四日市のアニメイトより若干広い印象でした。

最も、大体チェックするだけでここで物は買ったりしないのですが…

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ほぼ向かいのショッピングモール、「カタプラ」では
人気アニメショップ!!との文字が踊っていましたが、私が帰った
2日後の開催だったので、全くもって残念でした。

角川アニメーションとスタジオぴえろ、というのがポイント高いですね。
[ 2013/08/10 00:00 ] 鹿児島県 | TB(0) | CM(4)

西郷隆盛終焉の地

前回は西南戦争の銃弾跡を見たのですが、
今回はそれに関連して、タイトル通り、西郷隆盛の
終焉の地を見て行きたいと思います。

先ずは私学校の銃弾跡から歩いて、西郷隆盛
終焉の地を見に行きます。

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鹿児島本線沿いにあり、きちんと看板もある所
からして、有名な場所であるんだなぁと感じます。
周りは結構、普通の住宅地なんですけどね。

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こちらがその西郷隆盛終焉の地の記念碑です。
住宅に囲われた形であるので、行ってみるとかなり
意外に感じます。

1877年の9月24日に負傷した西郷は此処で解釈され、
生涯を終えた、と伝わっています。

当時と今とでは、雰囲気が違うので何ともですが、
圧倒的とも言える新政府軍に囲まれた中で、西郷は
自分の人生を、また一緒に新政府を作った仲間を
どう思って果てたのだろうか…とふと思ってしまいました。

因みに西南戦争の後、西郷の遺体が見つからず、
ロシアに逃れた、とか海軍がフランスに発注していた
軍艦を奪って新政府を倒しに来る
、とかいった風説が
広まったそうです。判官贔屓ですね~。

そして更に歩いて次の目的地へ向かいます。

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天皇皇后両陛下御宿泊記念碑、とあるのですが昭和天皇皇后両陛下
のことなのでしょうか…
見た感じなにか特別な建物、という感じはしなかったのですが…

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これも何だったですかねぇ…トンネルの上の石版を狙ったにしては
構図がおかしいのですが、何だったか覚えていません。

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これは戦前の防空壕でしょうか。
桜島で見たのと同じ感じです。

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そして辿り着いた西郷隆盛洞窟。

何故、最後に洞窟…と私も思うのですが、歩くルート的に
そうなってしまうのです。

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こちらがその洞窟です。
西郷が生涯を終える直前まで使っていた司令部の跡なんですね。

西郷側は、この洞窟一帯に立て篭もって抵抗を続けていたそうですが、
兵はわずか300人。新政府軍4万に包囲され、脱出を決意したのが
9月24日で、上記の終焉の地で生涯を閉じたのだそうです。

一時は熊本城を落城寸前まで追い込んだ西郷軍が、最期は
300人…歴史が変わってしまうポイントでもあっただけに
もし、西郷が熊本城を落としていたらどうなっていたか、というのも
興味深いです。

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この直ぐ前に2体の西郷像があります。
ただ、両方共何となくイメージが違うので残念ですが…
[ 2013/08/09 00:00 ] 鹿児島県 | TB(0) | CM(4)

西南戦争銃弾痕

鹿児島駅で一通り写真をとった後は鹿児島市内を
散策。

市電に乗り、市役所前で降ります。

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これが鹿児島市役所の市庁舎です。
結構、大きいですよね~。
スタイルもモダンな感じがして素敵です。

でも、今回の目的地はここではありません。
徒歩で向かいます。

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此方は何となくモダンな感じがしたので撮ってみました。
有り難みのある建物かと思ったのですが、見た目だけで、
中身はJAのレストランだそうです。

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鶴丸城跡。鹿児島城の跡地ですね~。
次回以降、中に入りますので今回はスルーです。

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今回の目的地はここ。西南戦争の銃弾痕です。

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この壁がある所は元々、西郷隆盛が明治政府を退いた後、
設立した私学校の壁ということで、西南戦争の時は西郷側の
拠点として激しい戦いが繰り広げられたそうです。

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丁寧にも「ここが銃弾跡ですよ」という石版の下を見てみると…

DSC04880.jpgDSC04877.jpgDSC04873.jpg

一見、風化か虫食いの穴かと思いますが、近づいてみると
かなり生々しい銃弾の跡が伺えます。

アメリカの南北戦争では北軍と南軍が銃撃の際、互いの弾が
丁度当たってしまうほどの激戦とも聞きますが、西南戦争でも
同様のことがあり、その銃弾と銃弾がぶつかり合った物は
博物館にあるそうです。

当時は戊辰戦争から10年しか経っていないこともあり、
まだまだ戦争の空気とか感覚というのも残っていたのでしょうね。
だからこそ、血気盛んな私学校の士族が反乱を起こした
のだろうなぁ、と思います。
西郷隆盛や政府の中心に居た大久保利通や木戸孝允なんかも
10年前までは第一線の将でしたし。

さてさて、次は西郷が西南戦争の際、最後にどんなルートを
辿ったのかを追いたいと思います。
[ 2013/07/27 00:00 ] 鹿児島県 | TB(0) | CM(4)

祇園之洲公園・多賀山公園

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前回は桜島フェリーの船内にて15分で食事を済ませ、
再び鹿児島港へ到着。

案の定、この日も特に予定はなかったのですが、港から
近かったこともあり、周辺をぶらぶらしつつ、鹿児島駅
行ってみることにしました。

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港沿いを歩いているとザビエル上陸記念碑を発見。

1549年にイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルがこの地に
上陸、そこから日本における布教活動が始まった…ということですが、
初上陸が鹿児島だったんですね。

そういえば、小学生の頃、社会科の日本史でザビエルが出ると、
頭髪の薄い先生のことを指して「ザビエル」という輩が2~3人いましたよね。

ザビエル上陸記念碑から歩くこと数分。
祇園之洲公園に到着。

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こちらには、薩摩藩の砲台跡を記す石碑が建っています。

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そしてその奥には薩英戦争の記念碑があります。

実はこの祇園之洲、日本史の教科書にも載っている薩英戦争の舞台に
なった場所で、砲台跡の記念碑があるのもその為です。

結果として、この薩英戦争が後の明治維新へと繋がる1つの
契機になった訳ですが、そんな場所に立っているのだなぁ、
と少し感慨深いものを感じました。

余談ですが、この薩英戦争の際、それまで軍備を西洋式で整えて
いた薩摩藩は、いざ開戦となってそれまでの西洋式軍備を一旦捨て
古式ゆかしい鎧兜に槍刀で戦いに臨んだことが敗因の一因になっている
というのを本で読んだことがあります。

理由としては「やっぱり、夷狄と戦うのだから大和魂がこもった装備が
必要だろう
」と、何とも日本人らしい物だったとか。

更にこの後、高台にある多賀山公園に移動、そこでこの方に
拝謁しました。

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東郷平八郎大日本帝国海軍元帥です。

日露戦争での勝利の立役者の一人、東郷元帥は薩摩藩の出身
ということで、高台の公園である多賀山公園に銅像が設置されています。
その大きさは等身大で、大礼服姿の凛々しいお姿です。

比較的、戦前期を忌避するマスメディア、特にテレビにおいてこの方
ほど、好意的に取り上げられている軍人は居ないのではないでしょうか。

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ここからは桜島もよく見えました。
[ 2013/07/20 00:00 ] 鹿児島県 | TB(0) | CM(4)
プロフィール

KZ-1

Author:KZ-1
鉄道メインで始めましたが、気が付けば旅行記っぽい感じに。
鉄道・旅行・ホテル・食べ歩きを柱にブラブラしてます。

最近、岡村靖幸にドはまり中のアラサー男。

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更新は原則週2回です。

愛機はSONYα55。サブにXperiaZ5です。

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